イギリス統治以降の首都をみるため、ホテルからTuktukでインド門に向かった。ホテル前で待ち構えていたTuktuk運転手に、インド門までの値段を確認し、乗り込む。するとこのドライバー、インド門の先、大統領府から、フマーユーン廟まで、全部で「150ルピー」と、値段は正確な日本語で言うではないか!「えっ!日本語出来るんか?!高い!」というと、「高くない。150ルピー」だと。
「150ルピー、高くない」と正確に発音するTuktuk運転手 |
現在の大統領府 |
フマユーン廟は、明日見に行くタージマハルのモデルになったといわれる建築だ。
フマユーン廟と、修学旅行の女子高生たち |
フマーユーン廟を歩いたあと、すぐ近くにあるHazrat Nizamuddin Dargahという、スーフィーの坊さんが祀られているイスラム寺院に行く。ここは、今回の旅でもっとも印象深い訪問先のひとつだった。寺の門で、まずは靴を預け、男性は帽子、女性はショールで髪を隠し、お供え物の花を買い、混みいった石の回廊をくねくねと歩く。その間、身体に大きな問題をかかえた人たちや、物売り、講話を聴かせてくれるお坊さんたちなど、さまざまな人の間を抜けて、最終的に本堂(?)のある中庭に出ると、祈りをささげる人々、施しを求め、与える人々が、平和そうに佇んでいて、こちらが信心深くなくても、宗教の効果というものを直に肌で感じられる場所だ。現代というよりは、中世がそのまま残っているような感じ。
メッカに向かってお祈りする場所 |
彼は祈りの気持ちが高まって、慟哭していた |
聖人の墓に花や布を供える |
供え物の花 |
Yours Truly |
寺の偉いお坊さんとお話させていただく |
メッカ方向にお祈りをする場所の他に、ニザムディンの墓に布や花を供えるお堂のような場所があり、その周りでカッワーリーと呼ばれるイスラムの祈りの歌が、楽隊による伴奏とともに歌われている。しばらく写真をとっていると、恰幅のいい紳士に、どこから来たのかの尋ねられる。話をすると、この寺院のディレクターだった。馴染みのない教義のお寺でも、関心と尊敬を表せば、歓迎をもって迎えられるということが実感できた、いい体験だった。
このお寺の前にも、Jama Masjidと同じく、門前にはハラール料理の店が何件も店を開いていて、ビリヤニの鍋がひかっている。おいしそうだが、次を急ぐ。
Craft Museumに行くが、ここは特に見どころが多いとは感じなかったので、すぐにガンジーが晩年を過ごした、Gandhi Smritiに移動して、ガンジーの偉業と最期について見学。
日も暮れてきたので、Tuktukで夕御飯に向かう。本日は、Connaught
Place近くの、Hotel Saravana Bhavanへ。南インド風タリの有名店みたいだ。見つけられるか心配していたが、大勢が入り口に群がっており、すぐにわかった。家族連れが多い。名前をリストに書いてもらって、20分ほど待つと呼ばれた。メニューは非常に多い。ドーサなどを頼んで、いっぷく。
南インド料理の人気店 |
時間を確認すると、そろそろホテルに戻ってカバンを受け取り、ニューデリー駅から出るアグラ行きの電車に乗る時間だ。インド滞在でタクシーに乗ったのは、この時だけ。荷物があるのでTuktukでは無理だから。Tata
Motorsの古い高級車のタクシーで行く。乗車すると足もとが広く、乗り心地はいい。運転手によると、車重が重いことが問題といえば問題、といっていた。たぶん燃費が悪いのだろう。
Agraへの列車は、旅行会社に手配してもらった寝台AC2クラスで、New Delhi駅18:40発、Agra Cantton駅21:45着。駅に到着すると、予想はしていたことだが、改札に入る瞬間まで、「そちらは違う、お前の乗る電車はこちらだ」とうその情報でぼったくりを狙う輩が休むまもなく、改札の目の前まで寄ってくる。列車のホームに行くと、電車に乗客リストの神が糊付けされており、我々の名前も確認。ホームには長距離移動する行商のようないでたちのおばさんが多い。
Agraの駅で列車を降りるとホームで旅行会社のレップが待ち構えていた。お父さんがネパール出身のグルカ兵だったというMall Tikkendharさんだ。とはいっても、本人はインドで育ったのでネパール語がほとんどできず、ネパールにいくとお爺さんに怒られるそうだ。体つきは、屈強そうだ。翌日の説明を受けて、ホテルWyndham Grand Agraにチェックイン。
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