2014年1月13日月曜日

インド: 1日目, Tokyo to Delhi (東京からデリーへ)

2013年12月27日の朝、いつもの中央線、山手線、京成スカイライナーという道のりで成田空港に着いた。待てよ、出張じゃないし、伝染病にかかっても、象に踏まれても、人力車がトラックにぶつかっても、列車が脱線しても、誰も保証してくれないなと思い、人生で二回目の旅行保険を購入。ただ、死亡しても何もうれしいことはないので、死亡保険は除外して、ちょっと安くした。エコノミークラスの旅行だけども、マイルのおかげでJALラウンジでおいしいカレーをいただき、午前11:35発のJL749便に乗り込みました。


中国に出張するときは、たいてい陸地に着くとまもなく着陸するので、中国の大地を上空から眺めることはないが、今回は、上海上空から、揚子江に沿うように飛び、南京の南側、武漢と進んで行くのがよく見える。PM2.5の影響は強くないようだ。その後、雲南省の山間部、ミャンマー上空を通って進む。北側の窓からみえる景色は順光で目にもやさしい、と思ったらいたら、右手にヒマラヤ山脈が!テレビでしかみたことのなかった天竺だ!旅行を計画したときには思いもしなかったオマケだ。 


進行方向右側の窓にヒマラヤ山脈
 フライトマップによると、飛行機はその後ベナレス付近をとおる。ガンジス川の輝きは確認すると、まもなく夕闇迫るニューデリー空港に到着した。飛行時間は10時間半もあったが、日中のフライトで特に疲れることもなく到着した。

さて、Visa On Arrivalが唯一、今回の旅行でインドの官僚主義を垣間みる機会となった。まず、係官が二人いるのだが、ふたりとも早く帰宅したいようで、替りの人を呼び出したようだ。ところが、この人が何もわかってない。ビザの審査をするための調書、審査の通過を証明するレシート用紙、それに押すハンコ、それぞれが、必要になった時点で、手元にないことがわかり、いちいち事務所まで取りに行く始末。そもそも視力も手際も悪いうえ、歩くスピードもゆうゆうとしたものだから、20人くらい並んでいるのに、最初の一時間で処理できたのはたったの3人。幸い、われわれは4番目だったので、飛行機降りてから1時間半くらいでビザがもらえた。他の人たちはどうなったのだろう?

税関を出ると、予約した旅行会社のレップであるWeejayが、我々の名前を手に待っていた。大学生みたいな男の子で、ほんとうに旅行会社の人か心配になったが、書類はもっているので信用するしかない。旅行代金の4割は出発前にカードで決済してあったが、残りはインドルピー現金で決済する必要があるとのこと。インドルピーは、日本では買えないし、現地で買うと交換レートが不利と聞いていたので、早速空港ロビーにある現地のATMで、日本から持参した銀行のATMカードを使い、ルピーを引き出した。一度に引き出せる金額の上限がATMによっては20,000ルピーや10,000ルピーで、残りの代金を決済するためには、計2台のATMを使って6回引き出す必要があった。

ニューデリー市内のShangrilaホテルに移動し、ロビーで旅程の確認、ホテルや、移動、ガイドなどのサービスと交換するバウチャーを確認して、代金を決済し、旅行代金のレシートをもらって、部屋にチェックインした。




部屋はきれいで、建物のかたちが北京のShangrilaとまったく同じだった。5つ星ホテルに泊まる意味は、これだ。お湯もちゃんと出るし、バスタブも気持ちがいい。

あわただしく来たので、デリーの街の中についてほとんど調べていない。しかも、デリーではガイドすら頼んでないので、アグラに移動するまでの二日間は完全に自由行動だ。明日からどこに行って何を見るか、寝る前に予習。一日目はOld Delhiで遺跡や寺院、バザールを見て、二日目はNew Delhiでイギリス統治時代と現在の首都や商業地域などを見ることに決めた。

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