2014年1月13日月曜日

インド: 11日目、Ahmedabad, Delhi to Tokyo (アーメダバードから、デリー、東京へ)

さて今日は、飛行機でデリーに飛び、そのまま成田行きの日航便に乗り換えるはずの日である。 

ところが、問題1。昨日の食事がわるかったか?ガイドブックに載っていたマトン料理を注文したが、ベジタリアンの街で肉はやはりよくなかったか?一晩たっても消化されずに胃に残っている感じがする。朝食の気分にもならない、と思っていたら吐き気がするので、移動中に吐くよりもよいと思い、口に指をいれてさっさと吐いてしまった。案の定、昨晩の肉が消化できていない。油がわるかったのかな?この日まで、風邪はひいても胃腸の調子は絶好調だったのに。吐き出してしまうと気分が改善したので、チェックアウトし、ドライバーと旅行会社の現地のレップと話をする。

すると、問題2。Delhi行きの飛行機が、濃霧のためにキャンセルされたらしい。Delhi発成田便は夜8時20分出発なので、半日あれば他の便でも間に合うだろうというと、それらもキャンセルの可能性が高いという。大急ぎで別の方法の手配を頼むが、いまいち反応が悪い。ホテルのビジネスセンターに数台あるパソコンを借りて、近隣の別の街からDelhiに飛ぶ飛行機がないか探す。電車ではもう間に合わないようだ。レップのGauravGurajat州のAhmedabadまで行けば、Delhi行きの飛行機はあるはずだという。調べてみるとそのとおり。しかし250キロも離れており、車で45時間はかかる。午後3時半の飛行機でもぎりぎりだ。迷っている余裕はないので、すぐに予約変更と追加料金の精算(一部米ドルで)を済ませ、Agraに帰りたいドライバーのSinghさんには悪いが、反対方向のAhmedabadの空港まで送ってもらう。

Rajasthan州からGujarat州に向かう山間部は丘陵と平野がまじり、緑におおわれた農耕地帯が美しい。体調は悪いが、ときおり目を開けると見えてくる景色は非常に牧歌的だ。Ahmedabadに近づくと、この一週間滞在していたRajasthan州よりも近代的な建物が多くなり、中間層が所有していると思われる小型車が多くなった。空港近くにはアメリカにあるような最新装備の病院も目につく。海外からインドに来て受ける私費の治療とは、こういうところでやるんだなと思う。腎臓移植や膝の手術などが有名らしい。空港近くで落ち合った旅行会社の現地レップによると、インドのMITといわれるIITも、Ahmedabadにあるそうである。こうして対比してみると、Rajasthan州は王族支配が長引いた結果、封建的な社会制度が発展を遅らせたのだなと想像できる。教育と機会の均等な普及が遅れると、開発が進まない。Rajasthan旅行に、どこか疲れる前近代的な面を感じるのは、この辺が原因だろう。

AhmedabadからDelhiの飛行機は問題なく飛んだ。途中、飛行機内のトイレでも少し吐いたが、デリーの国内便ターミナルから国際便ターミナルへの移動、JALでの夜行便は問題なくすすみ、無事、翌日の朝8時過ぎ、成田空港に帰着した。ひさしぶりの自宅で、白いご飯と梅干しで食事ができるのが楽しみだった。結果として、その後3,4日は下痢とくしゃみ、鼻水に悩まされ、ほとんど自宅で仕事することとなった。はじめてのインドという、自分にとってかなりの異世界に身を投じた結果、写真をFacebookに上げるだけでは足りないような気がして、実家の母や友人に旅の報告をしたいとの思いから、このレポートをまとめた。

2014113

太郎記す

インド: 10日目、Udaipur (ウダイプール)

今日は、終日観光できる最後の日。世の中は日曜日みたいだ。ゆっくりと朝食後、Udaipurの街をゆっくり見ることにする。 


まずは王族の所有するクラシックカーコレクションを見学。




その後、城外の街をぶらつき、正午からは、昨日予約しておいたAyurveda Shopでマッサージを受けるが、湖にあるJagniwas Hotelの高級スパをケチったのが災いした。技術もないマッサージ師が、冷たい部屋でいろいろなプロダクトをベタベタと塗りつけるだけで、不快であった。ケチらずに、Jagniwas島のスパに行かなかったことが悔やまれる。でも、何となく、インドではあまりマッサージに期待しない方がよさそうだ。

気を取り直して王族が19世紀にイギリスから輸入したクリスタル製家具の展示を見て、おまけでもらえるお茶と、宮殿からの眺めを楽しむ。





その後City Palaceに戻り、Sound & Light ShowUdaipurの歴史を振り返り、城内のレストランでUdaipur最後の夕食を食べた。



旅程がつまっていて、準備もあわただしかったため、きつい旅行ではあったが、すべてドライバー付きで、ホテルもいいところばかりに泊まったため、時間の割に濃い旅行になったことに満足して、部屋に帰った。

インド: 9日目、Udaipur (ウダイプール)

Udaipurは、Chittorgarhから狩りに来たヒンズー教とのメワール族の王様が道に迷っていると、聖人にここに都を移しないさいと進言されたという伝説があり、山に囲まれた盆地の川をせき止めて湖を作り、それを防御として城が築かれている。以来、インドがイギリス統治になるまで一度も征服されなかったので、イスラムの影響がすくなく、現在まで王族が城に住み続けている。レストランのメニューも基本ベジタリアンのみの所が多い。青い湖面に壮麗な城が映えるロマンチックな場所だ。 

今回は、その街の景観の一部を形成するLalit Laxmir Vilas Palaceという豪華なホテルに3泊した。ダイニングルームにはChittorgarhの美しい后、Padminiの肖像が掲げられている。


朝食後、Udaipurを案内してくれるガイド、Piyushの案内で市内へ。まずはPichola湖の遊覧ボートにのり、湖上にうかぶジェームズボンドの映画で有名なTaj Lake Palace(一泊30万円くらい?)を眺めながら、Jagniwas島にある豪華ホテルやスパをちら見してから、City Palaceに入城。




太陽を祖先とする王族の絢爛豪華な城を見学する。この城は、王族が現代インドにおいて王としての権利をうしなった後、どのように城を経営するか熟慮した上で、城の一部に住み続けるかわりに、城の部分を二軒のホテル、ならびにミュージアムとして経営するという合理的な考えのもとメンテナンスされており、外国からの観光客も多く、細部までよく管理されていて、安心して見学できる。下の写真で、赤いもの内側が今も王族の邸宅部分。











ひととおり見て、湖のほとりにある気持ちのよいカフェに案内されて昼食をとる。静かで、落ち着く。





食後、Udaipur名物のミニチュア絵画の店をひやかし、布のお店でアンティーク刺繍の買い物をする。まったく値段の知識がないが、「安くないなら帰る」という単純な戦法で、ボラレていないと納得できる価格まで落ちた。交渉成立してから売り子のお兄さんと握手すると、なぜか彼の手は汗でびしょびしょだった。


夕方の雑踏をドライバーのSinghさんがすごいスピードで走り、ラジャスタンの民族舞踊を見学。ガイドのPiyushは顔がひろいようで、満席に諦めて帰る他の外国人客を尻目に、末席だがすぐに着席できた。


湖の少し離れたところから城を見渡せるAmbraiレストランまでTuktukで移動し、夕食の後、別の店で象がかわいく刺繍されたクッションカバーをペアで購入し、ホテルに戻る。



インド: 8日目、Chittorgarh (チットールガル)

Pushkar Palaceのダイニングに朝食に行くと、宇都宮から来ている日本人夫妻に遇う。日本語のできる専属ガイドとともに、我々よりももう少し広い範囲を2週間かけて旅行しているらしい。我々が向かうUdaipurから昨晩着いたそうだが、途中の高速道路に盗賊が出没するので、それを避けて遠回りして来たという。ラジャスタンでは5000ルピーで人殺しを雇えるとか、物騒な話を聴かせてもらうが、ガイドさんに確認すると我々のルートは大丈夫でしょうということ。ベランダから見えるピチョラ湖を見おさめて、Pushkarを後に。

途中、道端の薬屋で風邪薬を買い、飲むと鼻水が治まった。


高速道路沿いの食堂にとまり、しばし昼食。ここで、ドライバーのSinghさんが、サイババ信者だと判明。レストランの入り口にサイババの大きな写真があり、それを指さして、"He's my God"と言っていたので間違いない。昼食の勘定が少し高い(味は非常によかった)が、一部がサイババ信仰にまわされるのであろうか?インドでのサイババの位置づけについては、よくわからない。




車は昼過ぎにChittorgarhに到着。Chittorgarhはインド最大の砦で、ヒンズー教徒のメワール族がムガール帝国等の外敵と何度も戦った城だ。勝利できる見込みがなくなると、男性は死を覚悟して戦場に出向き、城にのこった1万人以上の后や侍女、子供たちが火に身を投じて自滅したことが歴史に何度も語られているそうだ。また、Padminiという美しい姫を手に入れたくなった敵将が城を攻め落としてみると、Padminiも自らの命を絶っていたという言い伝えがある。Chittorgahでは、Padmini姫が使っていた中世のシャワー室やトイレなどが残っている。




夕暮れ近くまでChittorgarhを見学し、この砦の次にメワール族が遷都したUdaipurに移動する。今回の旅行でもっとも豪華なホテルLalit Laxmir Vilas Palaceにチェックインだ。部屋はとてもよいのだが、我々の倍くらいお金を払わないと、バスタブは付かないことにプチショックを受ける。ちょっとだけ考えたが、バスタブは諦めた。

インド: 7日目、Pushkar (プシュカール)

よく寝たおかげで、今日も問題なく観光できそうだ。目覚めると、部屋の前のバルコニーからの景色がすばらしい。 


朝食後、約束の時間にPushkarを案内してくれるガイドのBittuが来る。Bittuによると、Pushkarは、ヒンズー教の主要な神様の内、ブラフマー神を祀る唯一の寺院があるところだ。なぜここにしかないかというと、結婚式に遅れた后にあきれたブラフマーが、別の女性と結婚してしまうと、后が怒り、呪いをかけて、ブラフマーがPushkar以外に寺院を設けられないようにしてしまったからだとか。


ブラフマーが落とした蓮の花が湖になったという湖水に沿うように、ヒンズー教徒の巡礼者が沐浴するためのガートが無数にあり、その外側にお供え物や土産物を売る店、カフェなどが軒を連ねている。牛のほか、牛の落とす糞を食べるブタ、観光客の布施を食べる猿、犬などが人間に混じって自由に行き交っている。猿と犬はインドでも仲が悪いようだ。

ブラフマー寺院の山門もくぐり、隣接するガート(沐浴場)に着くと、例のごとく、坊さんを紹介された。若くてハンサムで、血色のいい聖者だが、ひととおりの儀式を経験するため、勧められる通りにガートに座り、花などのお供えを買う。近年他界した近親者の名前を聴かれ、伝えると祈りの言葉を行ってくれ、湖の水を手ですくって、同じように祈りの言葉を言うようにいわれる。何語なのかわからないが、はじめてヒンズー教のお祈りをしたところで、お布施を進言された。「寺院で聖者と貧しい人たちに食事を振る舞うのに毎回1000ルピーかかります。あなたは何度分寄付したいですか?」笑顔だが、こちらの善意を測るように、じっと見つめて布施を求める。たった、それだけですか?とか、なんどかやりとりしたが、こちらも無理やり払わされるのは嫌なので、夫婦で1000ルピーという線を断固まげることなく納得してもらう。それが一般と比べて高いか安いか、まったく知らない。最期は坊さんも「あなたがハッピーならそれでいい」といっても、にこやかに写真を撮って、ガートを後にした。




ヒンズーのお祈りを経験した後は、ガート沿いに散歩する。シーズンでないのか、人間よりも牛、猿の数が多く、おびただしい数の鳩に、巡礼者が餌をやっている。



ひととおりガートを見た後、目抜き通りのお店などを見て周る。これまで見てきたどの街よりも静かで、落ち着く。押し売りも少ない。何十年か前は、ヒッピーの溜まり場になっていたようだが、今もバックパッカーが目につく。それよりも、イスラエルからの客が多いことに気づいた。なぜイスラエル人が、ヒンズー教の聖地であるここに?まずヒンズー教徒の街だからベジタリアン料理しかないし、結果としてすべてユダヤ人が食べることのできるKosherな料理ということになのか?黒い服に巻き毛の正統派ユダヤ教徒の男性も何人か見た。







Pushkarでは、日本語よりも韓国語でよく話しかけられた。「オディガヨ?」(どこへ行くんですか?)と店の売り子が話しかけて来る。Pushkarは、日本人よりも韓国人の旅行者に人気があるんだろうか?実際、韓国人の旅行客も何度も見かけた。考えてみると、行く先々で日本語で挨拶される韓国人旅行客も、迷惑な気分だろう。ここでは立場が逆なんだ。Pushkarまで来るには一週間以上の旅程が必要だろうから、忙しい日本人でここまで来る人は少ないのかもしれない。

ホテルで朝食中に臨席したオランダ人のおばあさんは、6週間の旅路だと言っていた。我々が11日ですというと、「え?そんなに短いの?」と目を丸くしていた。

昼は、見晴らしのよい3階建てくらいのレストランの屋上で食べた。欧米人観光客も喜びそうなコーヒーや、ピザを含むイタリアン全般、はては中華料理までメニューに載っている店だ。とはいえ、ヒンズー教の聖地なので、肉はなく、あくまでベジタリアンのみ。我々はタリとピザに、バナナシェーキを注文。おいしい。そして落ち着く。インドでは、街の騒音に加えて、ひっきりなしに接客や物乞いのアプローチがあるため、静かに自分の時間を持つことが、本当に難しい。それがこの屋上カフェではヒンズー教の聖地を静かに眺めながら、お茶やバナナシェーキを楽しむことができる。イスラエル人が大挙してやってくるのも、わかる気がする。



午後は、カーストが床屋で5代目だという店で散髪(50ルピー)と簡単なマッサージ(180ルピー)をしてもらう。年越しまえに東京で散髪する時間がなかったが、腕はよく、すぐに終わった。


その後、真澄をヨガ道場の午後のセッションに送り届けて、自分はLotusという店でアユールベーダのマッサージ(といっても、何のことはない、ただの全身マッサージ)を予約し、時間まで別の屋上カフェで景色を楽しむ。マッサージは、結果的には90分で1000ルピーの価値は、日本と比較すればOKだが、部屋の衛生環境は満足できるしろものではなく、おすすめしない。


夜は、疲れと寒さで遠出する気がしないので、ホテルのダイニングで食事。高いが、味は悪くない。